冬の木はこわい。寒々しく葉を落とした枝が細々と薄い空に伸びている、その交差のシルエットがとりわけこわい。まだ小さい頃に、木の比較的上部の葉の方が下部のそれよりはやくなくなるのに気づいた私が、父にそれを告げた時に、冬になるとお空が葉っぱを取り上げてしまうんだよ、と教えられた記憶がその恐怖感を煽っている。下の方が先に生えた葉だから量が多いのだとか、上の方が風が強いからはやく散るのだとか、ぼんやりした知識で納得しているつもりになっている。未だにきちんと調べてはいない。そもそも多分、上の方が葉が少ない、という説自体ないのかもしれない。
「おめさん、それは、さみしいんじゃないか?」
「ちがう、ちがうよ。そんなんじゃない」
さみしさとはちがうと確たる気持ちがあった。だからこの否定は別に図星ではなく、だだを捏ねる子どものように甘えているのだ。私は都合良く退行する。ずっと一緒にいようと思っていたけれど、さみしいんじゃなく、ただ、こわくなったのだ、私は。公園を吹き抜ける風が冷たい。まだ落ちきっていないイチョウが風に綺麗な黄色を添えている。やわく、美しすぎて、目に痛いだけの色だ。
「靖友、来ないな」
「そうだね」
きゃあきゃあと子どもの声が遠くでする。ベンチから伝わる冷えに慣れた尻のそのまた下の方からじんわりとした冷気。木々の下で数羽のハトが地面をつついている。カサカサと落ち葉を踏む足は枝にそっくりで、私はこわいと思った。ハトはきっと落ち葉の陰に隠れる小さな、ごく小さな虫を忙しなく食べているのだろう。私も昨日の夜は鶏肉を食べた。風が冷たい。新開は隣で何やらごそごそとしている。マフラーも手袋もしているのに、この男は寒そうだと思った。
「なにも別れ話なんてそう急がなくてもいいと思うんだがな」
「あんたはルーズすぎるの」
ベンチにふたりで座る男女を、遊んでいた子どもの母親らしき人がちらりと見てきた。私はずっと、じっと、その親子を見ていた。子どもが木を指差して口を開き、親が何か伝えている。子どもの靴は紅葉のような赤で、その下には無数の命が蠢いている。私は叫ばないよう、馬鹿みたいに口を半開きにしていた。地に下ろしていた足を浮かせて、襲い来る恐怖感から逃れようと足掻いてみる。馬鹿みたい、じゃなく、馬鹿なのだ。
「来ないつもりなのかもしれない」
ぼろりとこぼれ落ちた私の冷たい臓腑が冬の吐息になる。もやもやがきちんと形になる、冬のいいところはそれだけ。まるで思ってもいないし想像すらできないのに、もやつきが形になるのは、幻影のようで素敵だ。目をつむると空に伸ばしていた指のような髪のような枝が、赤く浮かぶ。瞼裏の血管。凍えるように寒いのに、私の体温は36度はあるはずだ。生きているのだ。新開は何も考えていないような声を意図的に出して、私に、そしておそらく自分にも、言い聞かせた。
「来るさ、靖友なら」
「そうだよね。知ってる。わかってるんだよ、全部」
目を開けると空をビリビリに破る木々のシルエットが蘇る。灰色の雲で覆われていて、綿菓子のように甘く他のものとの境界を囲ってしまう。知っていた。冬は刺々しい景色ではないということ。浮かせた足から穏やかな息吹が這い上がり、ベンチにも馴染んでいる。隣の新開は身動ぎせず構えていて、きっとこの男もベンチを介してそれらを感じているのだと思った。でも、刺々しくないからといって、おそろしくないわけではないのだ。
親子はまだ木の下で遊んでいた。子どもの投げたボールが木の枝にかかり、親が落とそうと手を伸ばす。見ていて、馬鹿なりの閃き、わかってしまった。木の葉が上部より下部の方に残っている理由は、地上を行き交う人々に己の葉を見せつけるため、もしくは、上部の葉のようにうまく投身自殺できないからだ。ひらひらと落ちる葉が親子の身体を貫いて通り過ぎる度に、人も虫も変わらないのだな、と思う。ハトは場所を少しだけ移して、変わらず頭を地に近づけている。額突くようなその動作が、いただきます、といっているようにも見えた。謝罪のしぐさにも似ている。
「おしまいだな」
「……何が?」
「高校生活ってやつさ」
「まだ自由登校にもなってないし、受験も終わってない」
「でもあと半月寝たら、ちがう年だ」
「まだまだだよ」
「あっという間だよ、なまえ」
わかってる。喉の奥で唸るように、その言葉を吐くことも飲むこともできずに、私は咳をひとつだけした。新開も私も笑っていなかった。並んで座るふたりの隙間には暖かい気配がする。ひとりぶんの隙間が空いている、ここに収まる人を、私たちは待っている。
私は初詣のおみくじというものに憧れがあった。初詣に行く時は混んでいる後ろの方から賽銭を投げ入れるくらいで、おみくじの行列に並ぶ気力なんてないから。漫画や小説のキャラクターが、待ち人来たれり、というくじを引く場面を、多分私と新開はふたりとも、それぞれ別の形で思い描いている。くじを枝に結ぶことなく、同じ人を待ち続ける。
やってくるのは荒北靖友という幸福の形をしたひと。彼は春を連れてくる。私たちが凍えてしまう前に、ビアンキに乗ってやってくる。そしてきっとふたりはとてつもないスピードで駆けていくのだ、あの夏の日のように、今度は、春へと。
親子が手を繋いで帰っていく。ボールはもう子どもの手に収まっている。柔らかいゴムだからか、遠くからでも少しだけ球体が歪んでいるのがわかった。小さな秋が一歩一歩進む様を見ていた。いつの間にか下ろしていた足の裏で砂がじゃりじゃり音を立てる。こそばゆい気持ちになって、少しだけ笑った。ハトはまだ餌を探している。
「おめーが呼び出しといて場所間違えてんじゃねーよ!」
白い息を吐きながら彼がやってくるのを、私と新開は葉の落ちる音を聞いて待っている。