通販で買った靴が届いた。かわいらしい箱をどきどきしながら開けたらやっぱりとてもかわいくて、私は簡単に機嫌をなおした。本当に、コロッとごきげんに。柔らかく鮮やかな赤が綺麗で、この色にしてよかったと心から思い、にやにやしながら靴を履いた。フローリングの上を歩くと、少しだけ、ほんの少しだけ違和感のある歩き心地だったけれど、そんなの全然関係ないくらい私は舞い上がってしまって、すっかり今日の出来事を忘れてしまった、つもりになっていた。

お風呂に入ろうと服と靴を脱いだらぐるぐると彼のセリフが蘇ってきて、私はたまらなく腹が立ってしまって、だから、ボトルデザインに一目惚れしたバブルバスをこれでもかと湯に入れた。ばらの香りが臭くて余計にいらいらした。メインターゲットはフェミニン女子、ゴテゴテのロココ調装飾ボトルに呆気なく釣られただけあって、安っぽいその香りはひどくつまらなく、それでも湯がもったいないので、私は脳内以外ではつべこべ言わずに足を入れるのだった。



「なんでそんな靴履いてきたの」

だってかわいいでしょ。情けないことに、痛くて仕方ない足首を刺激しないようベンチに座り込む。結局私だけが昨日の出来事を引きずっていて、彼は全部忘れたみたいに翌日のデートの約束に三十分遅れてやってきた。コロッとした顔で、本当に何にも気にしてないみたいな顔で。煽られているのではない。紫原にとって、私との口論はその程度のものなのだ。

「何処にもいけないじゃん」
「こんなんじゃ、つまんないよねぇ」

自分でもびっくりするほど泣きそうな声が出た。語尾がか細く震えて、これはさすがの紫原だって同情してくれるだろう、なんて思ってしまった。だって、私はいま、とてもかわいそうだ。彼とのデートを楽しみにしていたのに、彼はそれを忘れて遅れてきて、彼との身長差を埋めるための高めのヒールを履いてきたら、この様なのだから。私はとってもかわいそう。ベンチの前を行く僅かな人たちは誰一人私に気を留めないけれど、そんなの私にはどうでもいいことなのだ。

「うん、つまんない」
「いうと思った!思ったけど、でも、しょうがないじゃん!」
「何で怒ってんの。笑える」
「もうさ、紫原、頼むから追い打ちやめて」

張り切ってつけてきたイヤーカフが虚しく揺れる。彼の隣を歩くことをだしに、私は私の装飾趣味に従ってこの格好をしてきた。誰一人かわいそうなんて思わないで当然だ。秋田の冬はとにかく寒いし、除雪されていてもヒールで歩くなんて致命傷だし、なのになんでこの趣味を貫いているのだろう。もういい加減に効率的思考にシフトされてもいいんじゃない、とよく友人は私を嗜めるけど、しかたないのだ。ハァ、と白い息を漏らす彼は、見るからに嫌そうに私の前に突っ立っている。もちろん、跪き靴を脱がせ温かい飲み物を手渡し待たせそこらで適当な靴を買ってくる、なんてことはしない。そんな紫原がこの世に存在していたら、私は指を指して笑う自信がある。

「帰る」
「ねぇ待って。帰ろ、ならわかるけど、この状況で帰るってすごいと思う」
「すごいでしょ、俺も思う。そんな靴履いて、バカじゃないの」
「だってかわいいもん」
「もん、とかいうなし。かわいくねーし。バカじゃないの」

紫原はわかりやすい、だから助かる。状況は停滞していた。むしろ紫原の機嫌が明らかに悪くなっているので、悪化しているといってもいい。雪が降っていないのは唯一の救いだ。

「いっぱい無駄なことしすぎなんじゃないの」
「無駄ってわかっててもやめられないの」
「俺、そういうの本当に嫌いなんだよね」
「……この話続ける?」
「……やめよっか~」
「あ、うん」

紫原の不機嫌な顔に、少しだけ焦りの色が見えて驚いた。昨日の口論を彼はきちんと覚えていて、だから三十分だけ遅れてきたのだろうか。わからない。紫原はわかりやすいって、ついさっき思ったのに、全然わからない。

きっと最近の彼のバスケにしても、見ているだけの私にも微かな変化が感じられるから、WCではじめて負けてから、氷室先輩がいっていたように、彼なりにいっぱい考えているのだろうなと思った。私は彼のことなんてほんの欠片しか知らないのに、嬉しくて申し訳なくてくやしくて、ぐちゃぐちゃと整理のつかない無駄なことばかりが頭を駆け巡って、とにかく、私はすごく紫原が好きだ、と思った。思ったら顔が熱くなってきて、恥ずかしくて両手で覆った。今日の手袋はめちゃくちゃかわいい。中はとっても温かいのに、顔に触れた表面はひんやりと冷たかった。

「とりあえずその靴脱いだら」
「脱いでどうするの。寒いだけだよ」
「めんどくさ~、さっさと脱いで」

渋々と赤を脱ぐ。変な形で固定されないぶん足首は楽だけど、外気がぐっと押し寄せる。たとえサイズの合わない靴でも、履かないでいるより履いていた方が温かい。脱いだ靴がぽつんと地面に置いてあると無性に悲しくなった。柔らかくて綺麗な色が、私から剥がれ落ちてしまうようだった。私は彼の隣を歩くという口実で、たくさんの靴を買うけれど、それの何が悪いのかな。



それの何が悪いのかな。私がそういったら、彼は、全部、と答えた。あの体育館には氷室先輩と劉先輩と紫原と他にもいっぱいの部員がいて、それでも、いつも一緒だった三年生はいなくて、彼らは一心に重苦しい色の、飾りのない、ただの球体を操っていた。私も、普段は部活の時にシュシュなんてつけていないけれど、帰り道、紫原の横を歩く時、少しでも自分の趣味を主張したいと思って、いろいろな準備に時間をかけていたのだ。明日はデートだから今日も少しだけ気合いを入れておこう、という気持ちもあった。

「全部だよ」
「でもさ、身の丈に合わないことしてるのわかってて、それでもやめられないんだよ」
「無駄だよ、全部。どうしようもないじゃん」
「アツシ」
「……勝たなきゃ全部無駄ってことでしょ」
「全然違うアル。今はマネージャーの髪の話アル」

居残り練習中に私のシュシュを紫原が取り上げただけで、大した問題ではなかった。紫原はわかりやすいから、私の趣味に理解なんて寄せていなかったのはもちろんわかっていた。それでも。

「そんなのつけなくていいじゃん」
「だってそれ、かわいいもん」
「もん、とかいうなし。かわいくねーし」
「かわいいと思うよ、似合ってる」
「ホラ、氷室先輩はわかってくれる!」
「はは」
「ぜんっぜんかわいくねーし。似合ってねーし」

カノジョが褒められてムキになってるだけアル、落ち込む必要ないアルよ、なんて劉先輩は茶化して笑う。つけてなくてもかわいいというわけではないと言外に告げている。氷室先輩も褒めているわけではない、寧ろ嫌悪しているだろう。紫原にとっても一切の装飾は無駄にすぎない。それでも。

「ゴテゴテ見苦しい」

それでも、その言葉にはむかついたのだ。



足先が冷たくなる。私は自分の装飾趣味を、見苦しいという本質をついたようにみせかける言葉で貫かれることが、心の底から大嫌いだった。装飾を好まない人の言葉は鋭利で美しい刃物のようだけど、それが全てだといわれることは、私を構成する肉を削ぎ落とす正当な理由にはならない。絶対に、ならないのだ。

「ねぇ、寒い」
「ホラ」

前に立つ紫原が、何故か背中を向けた。意味が推し量れず、わかりやすい紫原ってどこに消えたんだ、と思った。ベンチに小さいシミが出来て、私の頬にも冷たい欠片が触れて、雪が降ってきたのに気づいた。

「え、何。どうしたの」
「おんぶ」
「え?」
「おんぶするっていってんの。帰るよ」

声を出して笑った。紫原は後ろからでも耳が真っ赤になっていて、なんなの、かわいい。すごくかわいい。地面の赤よりも、ずっとずっとかわいい。私は身につけたアクセサリーを全部外して、どれも冷たく光るだけのそれらをかばんにしまった。人通りのそれなりにある場所だけど、恥ずかしいなんて気持ちは微塵もない。私は人目を気にしない。靴を手にして、ただ背中を向けて立っているだけの紫原にいう。

「しゃがんでくれないと無理」

こんなにかわいい靴を履いて、何処にも行かずに帰るだけなんて、ちょっと勿体無いかもしれない。それでも、二メートル越えの視界から見える世界は、とても美しかった。降ってきた雪は冷たいけれど、触れ合っている部分はとても温かかった。しあわせの匂いがした。

「ねぇ、なんかすごい臭いんだけど」




靴と装飾/20150202