駅の構内にある雑貨屋には女子の喜びそうなものが溢れている。普段は素通りしているエリアだからあまり意識したことはなかったけれど、持っていた文庫を読み終えてしまい待ち時間が暇で、たまたま覗いてみる気になったのだ。
店内、という意識の起きない、塀のない駅と地繋がりな店舗は、縁日の出店と似た印象を受ける。当たれば儲かるところも似ている気がする。キラキラしたガラスの埋め込まれた手鏡やラメを散りばめたポーチが造花やレースで装飾された棚に押し込まれている。
あまりにも場違いすぎる。流れるように華やかな色から目を逸らし、その途中、小さな馬を見つけて目線を戻す。三頭の白馬が円を描いて並ぶそれは、メリーゴーランドの形をした置物で、金色や銀色の装飾を纏っていた。
惹かれるままに手を伸ばすと、それは思っているより重めのしっかりしたつくりで、明らかにオルゴールであった。底には金のラベルに値段が書いてある。三千円。もちろん買う気はないが、こうしたいかにも乙女嗜好の雑貨は、どのような層に売れるのだろうか。
店には買い物帰りだろう大学生くらいの女性ふたりと、四人組の女子中学生がいて、それぞれハンカチとアクセサリーを見ている。確かに自分自身のために買う場合もあるだろうけれど、おそらくこうした雑貨は、贈り物用なのだろう。誰かへのギフト。人の行き交う駅。そっと手に持つオルゴールを棚へ戻す。誰が見てもかわいくて綺麗だと思うだろうものを寄せ集めた美しい塊、集積を、僕は人に贈ることなんてできないと感じてしまう。僕の世界は僕だけのもので、誰かは誰かのためだけのものを、それぞれが手にしている。重なることはある、共有することはある。けれど、全ては。少しだけ伏せた目をぎゅっと瞑ってから、店を後にした。
反対側にある構内の本屋で新刊や品揃えを見ていたら、ポケットに入れた携帯が震える。開くと、着いた、という無骨な吹き出しが浮かんでいて、小さくため息ひとつ。
改札付近の待ち合わせ場所には周囲を慌ただしく通り過ぎる人たちと頭ひとつふたつ分段をつくる赤い髪がいた。何やら下の方を見て口を動かしている。彼の隣に立つ人を見て、ああ、と納得した。その人が手を振って離れて行くのを確認してから、近付く。もちろんこちらが手を振っても彼は気づくわけがなく、背中を叩いた。長身の赤い髪の男はびくついた後「驚かすな!」と怒る。
「わりーな黒子、ちょっと電車が遅れてよ」
「知ってますよ。僕こそすみません、突然呼び出して」
「いや、どうせ暇だったしな」
「そんなことないでしょう。今ここにいたの、みょうじさんですか?」
「あー、そうだけど、なんだよ、気付いてたのかよ」
「火神くんはわかりやすいですからね」
「うっせーな」と僅かに顔を赤らめて凄む彼は等身大の思春期で、それを見て内心色々な感情に動かされている僕も等身大の思春期で、こうした生温さを、僕はとても素朴なものだと思う。ざわつく構内の、うるさい足音の、機械的な改札の通過音の、全てが。
「ちょうど来る途中の電車で会ってな。これから黒子と会うっつったら、同じ駅に用事があるっつーんでさ、一緒に来た」
「……そうですか」
「で、何の用だよ」
「いえ、なんというか……今年もお世話になったな、と」
「わざわざ来いっつーから来たらそれか!」
「二度目のウィンターカップも終わって少しさみしいんですよ。君と違ってひとり身ですからね」
わざとらしくそう言えば、彼は少しだけ沈黙して「そうかよ」と言った。男前な返事だと思った。本当は、今日もし君がひとりで過ごしているのなら、一緒にストバスに行くつもりだったんですよ、なんて、そんな言葉はかけられない。
「みょうじさん、待たせているんでしょう?」
「いや、待ってねーよ」
「え、だって、そこに」
先ほど彼女のいなくなった方に目をやってもそれらしき人はいない。拍子抜けだ。
「今日はお前と会うつもりだったんだから、ふつーだろ」
火神くんはそういう。僕はなんだか目を回しているような気分で「じゃあストバスなんてどうですか」と言う。途端に笑顔で「行くぞ!」と喜ぶ彼は、先ほどのオルゴールを知らない。そして僕も、あの馬がどんな曲に合わせて回るのか知らない。
火神くんとバスケをして、マジバでお昼を済ませ、またバスケをした。複雑なことなんて何もない、ただ純粋にバスケを楽しむ時間が、今年もたくさんあった。そうした当然で貴重な時間が僕には必要だった。寒く乾いた空気が痛かった。けれど地面を打つ度鳴る音が心地よかった。かじかんでいる手にざらざらのボールが触れること、吐く息がとけること、空が霞んで柔らかいこと。全てが僕のためにあった。
駅で火神くんと別れて、チェックした新刊を買おうと本屋に足を向ける。すると、あの雑貨屋に、彼女がいた。僕は足を止めて彼女を見つめる。彼女はごてごてに飾られた棚をひとりで見つめていた。何も手に取らず、流すように棚を見て、あのオルゴールの前で少しだけ止まった。けれどやはり手に取らず、そのまま店内をぼんやりと眺めてから、すぐに出てきた。
僕には気づかず、そのまま本屋の方へ向かうので、少し急ぎ足で彼女の背中を追う。本屋に入る直前に、声をかけるか迷った末に、肩を叩いた。彼女は大きく肩を上げて驚き、僕を確認するや否や「驚いたよ」と笑った。
「黒子くんも本屋に用事?」
「はぁ、まぁ、そうですね。新刊を買いに」
「いつも本読んでるもんね」
「みょうじさんも買い物ですか?」
「うん、そんなかんじ。ウィンドウショッピング」
彼女は小さなショルダーバッグ以外何も持っていなかった。「お目当てがなくなっちゃってて、悔しくて一日ぶらぶら過ごしちゃった」と言う彼女は、薄く化粧をしているものの爪を短く切り揃え飾り過ぎない服装をしていた。色気はないけれど雰囲気のいい人、みょうじさんは、そんな人だ。
「今日くらいになったら女子は福袋まで買い物待つものかと思ってました」
「あー、そういう子もいるよ。でもいらないの入ってるのむかつくから、欲しいのだけって子もいるでしょ」
「ああ、そうですね、それはわかります」
あと数時間後には人の手に渡る、福袋に入っている数々のものたちは、全てが本当に欲しいものとは限らない。どれがきても嬉しい、という人が買うものだ。僕やみょうじさんのような買い方の人はあまり手にしないものだろう。本屋の店頭には暇な三が日のための本がたくさん並んでいて、おすすめの本の中に僕の好きな作家の著書もあった。僕はそれを手に取り、彼女は別の作家の一冊を手にして、お互い何も言葉を交わさずレジへ向かう。
買った本をバッグにしまいながら彼女はホームへ向かっていたので、隣で僕は強めの声をあげた。
「今日、火神くんと遊んでました」
彼女は朗らかに笑った。ホームへ向かう足は止まらない。
「知ってる知ってる。火神くん言ってた」
「バスケしてただけなんですけど、楽しかったです」
みょうじさんは依然微笑んでいる。
「みょうじさんも今度ご一緒しませんか」
彼女はこの決定的な言葉にも微笑みを崩しはしなかった。綺麗だった。おかげで僕は、どんなにそれを見せ付けても、彼女へ贈ることはできない事実を突き付けられた。僕は彼女を手にできない腹いせに、僕のいちばん美しいと思うものを、彼とのバスケを、見せびらかしたに過ぎない。彼女は返事をしなかった。故意に傷つけた。誰もが羨むものではないけれど、少なくとも彼女は僕の持つものを欲しがっていた。けれど僕には、彼女が僕に恋や愛をラッピングして贈ってくれることがないのと同じく、それを包んであげる優しさや技量がなかったのだ。思春期の、男子に過ぎない。
彼女はホームへ降りるエスカレーターのそばで止まった。ちらほらと人が立ち止まる場所だ。駅では僕らもきっと周りの人となんら変わらない、ざわめきの一部に過ぎない。どんなに殺伐とした感情が交錯していても、所詮は全て誰かのものだ。みょうじさんは何も言わない。もう口元は笑っていないし、微かに落ちかけている目元の茶色が、待ち合わせ場所で見た時の彼女の強さを少しだけ欠けさせていた。ずるいかもしれない、けれど、今なら言えると思った。
「僕は君が好きでした」
みょうじさんは少しだけショルダーバッグを握って、それから「ごめんね」と言った。もちろん僕もその答えが来ることをわかっていたので、ざわめきの中で「いえ、すみません、ありがとうございます」と返した。女々しい言葉だと他人行儀に思った。それでも、きちんと告白できたことは、誇らしかった。
あのオルゴールから流れる曲はわからないままだ。けれど僕は手に取って眺めたから、三頭の馬が上下に動きながら一緒に回転するつくりになっていることを知っている。一頭には赤く輝くガラスが嵌められているのも知っている。買わなくてよかったと心から思った。
僕と彼女は同じホームへ下りて違う電車に乗った。一本遅らせたのは僕だった。彼女はドアに入る前に「黒子くん、よいお年を」と言った。轟音を立てて去っていく電車を見ながら、少しだけ泣いた。また新しい年が来たら、みんなと、あのコートへバスケをしに行こうと思った。